重箱の隅をつつく
重箱の隅をつついて、
何かが出てきて、その出てきたものをプロ正義中毒者として批判する。
重箱の隅からでてくるものなど、大概どうでもいいことだ。
でも、そこをつついて、出してみせて、『どーだ!私の指摘は正しいだろう!』と自慢して、自己満足という名のマスターベーションの快楽を嗜好する正義中毒者。
そんなマスターベーションは一人でやっていたらどうでしょうか?
重箱の隅から俺は出してみせた!
私は凄いだろう!
そんなことで自己のステータスを高めたいのか?或いは、そんなことを見つけ出し,指摘し、他者に詫びさせることに快感を得る性癖の持ち主なのか?
そんなことの持ち主ならば、
痔主の方がよっぽど可愛い。
いつしか「文春砲」などという言葉が一般的になった。
そして人のことを粗探しして、我こそが正義だと立憲民主党や共産党がアホらしく国会で質問をしている。
完璧なる法令遵守こそが正しいわけがない。
法には必ずその法に対しての抜け道が書かれてある。
法や憲法より上位に存在しているもの。
それを軽んじている代表が立憲民主党議員や共産党議員だと私は思う。
国会議員、地方議員。
議員の仕事の一番大切なことは、しくみをつくること。
重箱の隅をつつくことや、
週刊誌のネタで他者を批判することではないはず。
政治家は結果が全て。
そもそもその結果を評価できる“結果”を出していたのか?任期中に。
議会で○○委員会で質問をしましたなどと言うのは議員の結果ではない。
重箱の隅をつつ来ましたという議事録のみが公文書として残せただけのこと。
新人の立候補者は目指している議員・首長としての実績は全くない。
でもどんな議員であれ、首長でも最初は皆さん新人。
どれだけ未来を委ねることができるのかという期待値で判断することになる。
あるあるあると見せかけて、話しかける結果と、
実績値は0だけれど、期待値に未来を委ねること。
選挙区によってはそんな選択もあるかも知れない。
私は重箱の隅をつつくような人或いは政党が当選してしまったら、どんな未来になるのか?
鳩に餌を与えたらどうなったか?
鳩があっけらかんとして、どぶの中のドジョウをついばみ、こともあろうか、黄色信号が灯っている交差点の真ん中でそれを食べ始めたと同じようなことが起こりかねない。
自分が食べたいドジョウを
自分が食べたい場所で
自分が食べたいように食べる。
全てにおいて自分Loveなことを容認してしまう社会になりかねない。
自由と権利を法を振りかざして重箱の隅をつつくような人々には、退場願いたい。